アポロ11号と月の石

今、自伝を書いて残しておかないと、おそらく、誰にも私がどんな理由で、
このサイトを立ち上げているかがわからないと思い、記すことにします。
 私が、宇宙に興味を持ったのは、
1969年アポロ11号が月に人類を送り込んだ頃に遡る。
ケネディー大統領が、1960年代には、
人類を月に人類を立たせると明言して、有言実行できた時だった。
ソ連とアメリカが宇宙開発で競い合って、月に関しては、アメリカがピン差で勝利しました。

月の石

 1970年には、大阪万博が開催され、家族で夜行バスで万博会場に行き、アポロ11号が持ち帰った「月の石」をみて感動したことを覚えています。
アポロ11号の採集した石は、「アメリカ館」に展示されていましたが、今は行方不明との噂を聴きました。(未確認情報だが)
調べたら、「日本館」にアポロ12号の採集した石があって、それは今、国立科学博物館にあるとのことらしい。
さらに、アポロ12号が採集した石は、北九州市の「宇宙博物館」にもあるらしい。
写真のようにかなり大きい。それは、みてみたい。

中学時代

 1970年代、私は、旧清水市(現在 静岡市清水区)の中学校に丸坊主で通っていた。
なんとその頃は、強制的に坊主にしなければならない。
なんとも不遇な時代だった。
丸坊主の遠藤少年は、バレー部のキャプテンを務める傍、
数学に傾倒し、図形の証明では、かなりの自信があった。(新郎新婦の紹介じゃ)

確か、数学の先生は、あだ名が「しっかりショー」 という杉山先生だった。
杉山先生にはお世話になった
その先生から、数学の面白さを教そわった。感謝。
まあ、そうこう中学生活を送っているうちに、
清水銀座にあった戸田書店に寄った際に、著者は忘れたが、
「アインシュタインの相対性理論」という本を目にした。
確か、2、3千円したと思う。
その当時、ビートルズのレコード「Let it be」が
2、500円位したと思った。
小遣いを叩いて、その本を購入して読み始めた。

杉沢くんとマイブーム

その頃、同級生の杉沢くんも難解な本を読むというのがマイブームで、
私もそれにつられた。
杉沢くんは、ギターの天才で陸上もやたら早く、運動神経抜群だった。
「アインシュタイン相対性理論」は、テンソルが出てきた時点で、
なんのことやらってことになり、結局数ページ読んで断念した。
その後、「相対性理論入門」という本を買って読んだ。
特殊相対性理論については、雰囲気わかったが、
やはり一般相対性理論については、
チンプンカンプンだった。

空間と時間は繋がっていて、
4次元!、時空と呼ぶ!時空は歪んでいる!
などなどヒエーだった。
ちょっとわかったつもりの特殊相対性理論も、
光速度一定の原理で、
時間が遅れるやら長さが縮むやら、
スーパージェッターじゃないんだから、
それを言われても「ありがとうございます。」
としか言いようがなかった。

高校物理

 高校に入ると、物理を勉強することになる。
中学から物理があったら、
数学よりも物理を選んでいたかもしれない。
クラシックピアノとポップスのエレクトーンの選択に似ている。
そのくらい物理は楽しい。
対称性に数式の美を感じたり、世の中の現象を、
まことしやかに数式で説明する。これは楽しい。

Martinは無理 morris持てばスーパースターも夢じゃない

高校時代は、CSN&Yのコピーをしていた。
4WAYSTREETをレコードがすり減るまで聴いた。
Martin D-45に憧れたが、当時100万円くらいしていて、
貧乏学生にはとても手が出なかったので、Martin D-35のコピーMorrisのWD-30を3万円で小遣いを叩いて買った。
明らかに、CSN&Yの音は奏でられなかったが、そのギターは30歳くらいまで使った。(今は、田舎のおじさんが使っている)

話は脱線したが、

そうそう、高校時代の物理の先生は、あだ名が「アヒル」だった。
名古屋大学を出て頭はよかったが、
口がアヒルに似ていてそのあだ名になったと記憶している。
先生すまんです。本名覚えてないです。
アヒル先生から、物理の楽しさを教わりました。ありがとう。

高校では、数学より、今の古典力学が大好きで、
ニュートンを尊敬するようなった。
おかげで、

mgh(エムジーエイチ) 、
1/2mv2(二分の一エムブイじじょう)、
F=-GMm/r2(エフイコールマイナスアールじじょうぶんのジーエムエム)、

などなど今でも忘れずに覚えている。

前頭葉崩壊

しかし、最近では、今日食べた、
昼飯さえなんだったか思い出せないことがある。
それなら、まだマシだが、つい今しがた何をしたかったのを、よく忘れる。

海馬と前頭葉の記憶の差なのか、古いことはよく覚えている。
 高校当時、私がニュートン好きでも、
さすがに「プリンキピア」は読まなかった。
しかし、物理の参考書を買い集め、
片っ端から読み、問題集を買って解いていった。

大学の試験では物理に関しては、
わからない問題がなかった。(自慢)
今では、解けないかもしれない。いや解けないだろう。

テスト時間のタイムアップが目に見える。

自宅の中心から、力とエネルギーの負のスパイラル

 高校の頃の物理問題は、力(F=maなど)で解く問題とエネルギー(mghなど)で解く問題があった。
遠心力と重力は力で、位置エネルギーと落下速度はエネルギーで解く。
というような。
なぜ、どっちか一つで解けないのか!解こうとしないのか!

昨今、YouTubeで物理の授業をみていても、
そのあたりは変わっていないみたいだ。
特に、万有引力の位置エネルギーの基準を無限遠におくという発想が好きになれない。
 自分の信念としては、同じ見方・やり方、
考え方で物事をまとめていくのが性に合っていたので、
物理好きの私でも、この解法アプローチはちょっとなあと思っていた。
統一してくれー!!

と自宅の中心から叫ぶのだった。

天文との遭遇 弟のパクリ そして天動説

 私には弟がいて、私よりも頭が良く、勉強ができた。
彼は有名進学高校に入ると、部活の天文部に入り、
学校にある天文台のニコン8センチ屈折型望遠鏡で、
夜な夜な夜空を眺めていた。
勉強はいつしていたのかは定かではないが。

 そんな、弟に影響され、
確か、弟が父親に買ってもらった、
赤道儀のついていない反射望遠鏡で、木星を観察。
大赤斑をスケッチして楽しんでいた。
ちなみに私が父親から買ってもらったのは、
ギターだった。

この時点で、私が遊びの流れに乗っていたことは、
親にバレていたに違いない。
 望遠鏡で木星を見ていると、
コペルニクスやガリレオがいくら「地動説」といっても、

望遠鏡の中は「天動説」だった。
星は、望遠鏡の中を流れて消えていくのだ。

数学科の落ちこぼれ 片瀬先生のご慈悲

 そんなこんなで、大学の数学科に入学して、
「位相幾何学」を専攻することになるが、
ゼミの担任の片瀬先生にも見放されるくらい、
全くベクトルバンドルが理解できていなかった。
よくぞ卒業できた!ありがたい。

 そんな訳で、就職先は、
「位相幾何学」とあまり関係ない地方の銀行!

銀行員という名のIT野郎

銀行に入ってからは、
IBM370という汎用機コンピュータープログラミングを覚え、
光学メーカーに入った弟の影響で、
はんだごてで、コンピューターを作るようになり、
コンピューターに関しては、
メーカーのSEと対等に話せるようになった。

 しかし、銀行に入ってからも、
どうしても高校の時の物理の力とエネルギーの不統一が心に引っかかって、
アイデアを思いつくたびに、メモしていた。
メモもKeyNoteに600ページあまりになった頃には、
銀行定年の時期になっていた。

信じてもらえぬノーベル賞

 かれこれ、気がつくと半世紀は遠に過ぎていたのだ。
私は、信頼できる友達に、事あるごとに、ノーベル賞をとるのだと言って、
モチベーションをあげてきた。
信じてくれたのは、私が知る限り1名。
かの弟に話した時も、「兄さんついにおかしくなった」と、
心配メールをもらった。ごもっとも。

母に至っては、何を言っているかさえわからないようだった。チーン。
それでも、少しずつまとめねばと思い、

ここに執筆します。

不器用な酒飲み親父の特訓

執筆するに当たっては、某地方銀行に勤めていた時の上司だった、

望月常務の文章指導が役に立った。
その頃、私は、無謀にも、大先輩の望月常務を親父と呼んでいた。
親父とは、ほぼ毎日、草薙の駅前で酒を飲んで帰った。
なんとも不器用な人であったが、(お前に言われたくないと言われそうだが、)

頭はキレキレだった。
書類を提出すると、
数分後に、真っ赤になって帰ってきた。
それが、あまりにまとをえすぎて、閉口。

最近は、連絡をとっていないが、おそらく、しぶとく生きているはず。

親父、ISO認証のマニュアル作成、役に立ってますよ。

長生きするしかない

さてさて、
生きていないと、ノーベル賞はもらえないぞ!と自分に言い聞かせる。

人生残り少ないぞ!!頑張れ
還暦オーバーの遠藤少年

平成も終わらんとしている、猛暑日、自宅の中心にて記す。