光は、粒子性と波動性の二重性格を持っている。これは実験で証明されている。

そもそも光って電磁波なので、光も電磁波も同じような構造をしているはずである。それはさておき、光は物にぶつからない限り、見えない。ぶつかってはじめて、色として人間の目が認識できる。138億光年の光も人間の目に届いてはじめて光ということがわかる。

そこで、光をエネルギーを持った搬送波と考えられる。粒子ではなくエネルギーである。当然、搬送波は波なので波の性質を持ち、衝突することによってエネルギーが到着する。ということになる。

以前の赤色偏移のブログでも述べたが、搬送しているうちに、搬送しているエネルギーが減少して138億光年搬送するとエネルギーがゼロになる。搬送中におとしてきたエネルギーが背景放射になる。これらは、実験していなので、予想にしかすぎないのですが。だれかチャレンジしてくださるとありがたい。

光速度一定の原理

EMANの物理学)より

特殊相対性理論;アインシュタインが論文の中で言いたかった事を要約すれば次のようになる。 「マックスウェルの方程式をいじって求めた結果を怪しまなくても、次の二つのことを認めるだけで同じ結果、すなわちローレンツ変換式が導ける。だからこの二つを受け入れて、物理学を、特にガリレイ変換を見直してはいかがでしょう? 力学の法則もローレンツ変換に従うと考えるのです。」 
その二つというのは、 
・光の速度は光源の速度に依らない 「光速度不変の原理」 
・どんな慣性系でも物理法則は同じ 「相対性原理」 
光速度は誰から見ても一定;広く知れ渡っているように、光速度はどの慣性系から見ても同じ値の定数である。 これは観測事実である。 このことは上で説明した二つの原理から導く事が出来る。EMANの物理学

特殊相対性原理; 電気力学と光学(電磁波)についての法則が、力学の方程式が成り立つようなすべての座標系に対して成り立つ。
光速不変の原理; 光(電磁波)は真空中を、光源の運動状態のいかんにかかわらず一定の速度 c で伝わっていく。(Wikipedia 特殊相対性理論

結局、発光源と受光者がどんな速度で移動していても、光の速度は一定ということです。

宇宙エネルギー構造からみた光速度

宇宙での最大の速度は光速です。記号はcです。光速は1.08e9km/hくらいである。質量があれば、速度はcより小さくなるはずです。すなわちエネルギーは質量=0と考えて差し支えない。言い換えれば、質量=0のエネルギーが光速cで移動していると考えても差し支えない。質量がないから、加速度もないだからいきなり光速になる。だから、どんな速度の光源から発した光の速度は、光速度になる。その光は、動いている間は、見えなくて、なにかにあたって初めて可視化できる。だから、計測するには、何かにあたった瞬間にどのくらいの距離をどの位の時間で進んだのかがわかる。だからどこんな速度で移動している受講者(観測者)も同じ速度の光を観測になる。つまり、光速度の観測の仕方がポイントになるのではないか。そもそも、光速度一定の法則がわかったのは、マイケルソン・モレーの実験で失敗したからである。

マイケルソン・モーレーの実験(Wikiペディアより)

マイケルソンはエーテルの流れを検出するに十分な精度を得られる実験方法を考案した。これは今日マイケルソン干渉計と呼ばれる装置である。まず、光源から出た白色光線はハーフミラーを通り、二つの互いに垂直な光線に分割される。それぞれの光線は、しばらく進んだ後に鏡で反射され、中央に戻ってくる。そして検出器の上に重ね合わせると、それぞれの光線が光源を出てから検出器に到達するまでに費した時間に応じて、干渉が起こる。光線が費した時間が僅かでも変化すると、干渉縞の位置が動くはずである。

もしエーテルの風が地球の自転にのみ由来するのであれば、風向きは12時間ごとに反転する。また、一年を通しても、半年ごとに風向きが変化しなければならない。この風向きの変化は、干渉縞の移動として検出されるはずである。これは、川を行く船の例で考えることができよう。船はスクリューにより時速50 kmの速さを得ることができ、川は時速5 kmで流れているとする。このとき、川を横切るように10 kmの距離を往復するならば、少し下流に流されることを気にしなければ、0.4時間で帰ってくることができる。しかし、上流から下流10 kmの地点までを往復するならば、行きは0.182時間、帰りは0.222時間要するので、合計で0.404時間かかる。同様に考えて、エーテルの風に対し垂直に進む光線に比べ、平行に進む光線は、往復に僅かばかり長い時間を要する。すなわち、エーテルの風向きによって干渉縞が移動するのである。実験は、エーテルの流れが太陽から見て止まっていると仮定し、地球の運動により引き起こされる干渉縞の移動の測定を目的として行われた。

マイケルソンは1881年にいくつかの実験を行った。予想された干渉縞の移動が、縞の間隔を1として0.04であったのに対し、検出されたのは最大で0.02であった。しかし、彼の実験装置は試作品であり、実験誤差が大きかったために、エーテルの風について結論を出すことはできなかった。エーテルの風を測定するためには、さらに高精度な実験を行う必要があった。とはいえ、この試作品は、実験手法の有効性を示すには十分であった。

そしてマイケルソンはモーリーと共に改良型の装置を作成し、干渉縞の移動を検出するのに十分な精度を得ることに成功した。彼らの実験では、光は何度も反射されてから検出器に到達するため、光が移動する長さは11 mに及んだ。このため、予想される干渉縞の移動は0.4であった。検出を容易にするため、この装置は石造りの建物の地下室に配置され、熱や振動の影響は最小に抑えられた。振動を抑えるための工夫として、装置は大理石の巨大なブロックの上に置かれ、そのブロックは水銀のプールに浮かべられた。彼らの計算によれば、振動による影響は、期待される干渉縞の移動の100分の1以下であった。水銀のプールには別の利点もあった。すなわち、装置の向きを容易に変えることができたのである。向きを変えながら実験を繰り返すことにより、エーテルの「風向き」を検出することができたのである。

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